The Future Circle

Akinoriderのブログ。主に音楽・映画・本など、サブカルチャー/カルチャーについての感想。

フジテレビの韓流偏向には激怒して、原発問題には怒れない日本人2

何故こういう事が起こってしまうのかは、僕たちの「議論の出来なさ」に起因してるんじゃないかと思う。

よく日本人はディスカッションが出来ない、と言われる。日本人は議論より空気を読むから、とか島国社会でそもそもよそ者が少ないから、とか色々言われるけど、僕が議論で一番大事だと思うのは(そして難しく苦手なのは)

とりあえず自分の立ち位置は棚にあげて論理を作っていく事

だと思うのです…。
ディスカッションの練習の授業で、とりあえず自分の意見は関係なく、二つのグループに分けられて、それぞれが自分達の論理を作り上げて、それを相手の論理と戦わせる、というのがあるらしいけど、それが大切かつ難しいことなのだ。

そういう事を社会問題に対しても行って行くべきなんだろうけど、とにかく僕らは議論に慣れていない。議論どころか、自分の考えを論理的に話すのすら困難だ。この文章を読めば分かるように僕も本当に苦手だ。


3.11以降、様々な問題を抱えた社会に対して、僕ら国民は怒り、悲しみ、憤った。しかし、原発問題に代表される様に、それらの社会問題はとても複雑であり、専門的知識が必要で、誰を信じたら良いか分からない。国は嘘をつきまくり、信頼などとても出来ない。論理を立てようにもその根拠すら僕らは失っている。また、前述したように誰もが安全な場所から発言出来ない、もやもやを抱え、ストレスだけが溜まっていく。そして、それはソーシャルメディアによって顕在化し、「僕らはみんなバラバラだ」という事だけがリアルとして理解出来てしまった。


そんな中に、格好のストレス解消材料として使われたのが、これらのフジテレビ問題やまんべくん問題、そして、各種の「本来あってもなくても問題ないものex.平野綾、各Twitter炎上者」だったのではないか。それらの「問題」は、元々娯楽やキャラクターであり、とてもシンプルで、かつ攻撃対象も単純だった。僕らは簡単に正義の名の下に論理を作り上げ、簡単に一つになって、安全な場所から、思う存分、対象をフルボッコに出来たのだ。正義には論理性が無いものも有っただろうが、基本的には正しい論理の元に正論を唱えていたと思う。


でも、本当に、僕たち日本人はこれでいいんですか?
続く