The Future Circle

Akinoriderのブログ。主に音楽・映画・本など、サブカルチャー/カルチャーについての感想。

フジテレビの韓流偏向には激怒して、原発問題には怒れない日本人3

僕はストレス解消は一向に構わないと思う。思う存分やればいいと思うが、僕はそれが間違っても「誰かを幸せにする正義」ではないことを言っておきたい。確かに、「ある正義」ではあるかもしれないが、この世界はずっーっと「正義」の為に戦争が行われているのだから。


僕ら日本人はこのままでいいのだろうか?
正直、僕は何となくこのまま何とかいって欲しいのだ。でも、そうはいかないんじゃないかと皆言い始めている。北海道ではあまり感じないのかもしれないけど、切迫した感じは確かに伝わってくる。
でも、正義の元に何かを叩いて、スッキリする事では、その問題は変わらないだろう。
僕らがしないといけないのは、その難しい原発問題だったり、議論するのが大変なことに向き合わなければならない、本当は。

例えば、年金問題だってそうだ。これも議論が中々進まないのは、実は知らないうちにみんな段々既得権益を享受出来る側へと、歳を取れば取るほど変わっていくからだ。幾ら老人を批判しても、僕らもいつかは老人になり、若者から批判されるからだ。



だからこそ、僕らがしないといけないのは、やはり議論なのだ。しかし!誰かが安全な場所から正論で誰かをただ批判する為の議論ではない。みんなが後ろめたいものを抱えたまま、みんなが、批判される対象であり、批判する主体でもある、そんな中での「寛容さを持った議論」が必要なんじゃないだろうか。
日本では「人様に迷惑をかけるんじゃない」と、親は子供に教えるが、
インドでは「お前は生きている時点でもう人に迷惑をかけているのだから、人に迷惑をかけられても許してあげなさい」と教えるのだそうだ。これから必要なのはこのようなメンタリティでは無いだろうか。
批判される事を恐れず、批判する事を恐れず、ただ議論を積み上げる。まず、僕らは一人一人異なる、という事を恐れず明らかにする。そこから始める。そして、論理に矛盾があれば指摘する。共通点を見つける。絶対に相入れない部分を認める。そして、その中間に妥協点をついに見出す。

それは、きっと怖い事ではない。
いや、お互い怖いのだから、寛容になろう。



最後に…こんな話をしたら真面目に書いてきたのがぶち壊しになってしまう気もするけれど、下ネタに喩えると…

要するに、フジテレビ叩きは「オナニー」なんだよね。部屋に鍵をかけて、ティッシュ用意して安全を確保してwさあ思う存分…!!てやればそりゃあ気持ちイイよねwwwいや、よく分かりますよ!!w

でも、相手がいる「セックス」は、最初は怖いこともあるし、色々ハプニングも起こるしwまあ大変です。でも、オナニーより気持ちいい「可能性」があるし、それに、ついには新しい生命まで作ってしまう。まさに生産的行為なわけで…
相手がいるからには相手に許しを得なければならないのです。自分のやりたい事ばかりは出来ない訳ですw相手が何を感じているか、受け取らないといけない。

それはどこか、ディスカッションに似ている。

(終わり)